(テラヘルツ関連)産業技術総合研究所他/サブテラヘルツ波が水とタンパク質のミクロな混合を加速

-水素結合の組み替えに直接的に作用し、不均一なタンパク質表面への水和を早める-

ポイント

  • サブテラヘルツ波を照射しながらタンパク質の水和状態の変化を解析する技術を開発
  • サブテラヘルツ波の照射でタンパク質の水和が促進されることを発見
  • サブテラヘルツ照射は水和を変える新手法として、タンパク質機能の改変技術や飲食料品の熟成技術などへの応用が期待できる

水と乾燥したタンパク質を混合した直後、水中では水分子同士の結合(水素結合)ネットワークが崩れる(左図)。その後、電荷との強い結合を外してネットワークを作り替えるなどして安定な水和構造が形成される(右図)。サブテラヘルツ波を照射するとその変化に要する時間が短縮されると考えられる。アミノ酸側鎖にある正電荷を+、分子間・分子ーイオン間の相互作用を・・・で示す。

概要
国立研究開発法人 産業技術総合研究所(以下「産総研」という)細胞分子工学研究部門 今清水 正彦 主任研究員、ナノ材料研究部門 杉山 順一 主任研究員、分析計測標準研究部門 田中 真人 研究グループ長、佐藤 大輔 主任研究員は、サブテラヘルツ領域の電磁波の照射により、タンパク質の周囲にある水分子集団の運動を励起し、水和状態を変化させる現象の観測に成功しました。本観測のためにサブテラヘルツ波照射中での高感度なマイクロ波帯の誘電率測定技術を開発し、水素結合でネットワーク化した水分子の動きやすさを評価しました。また東京大学大学院 薬学系研究科 徳永 裕二 助教、竹内 恒 教授、筑波大学 数理物質系 菱田 真史 助教(研究当時、現:東京理科大学 理学部第一部化学科 准教授)と共同で、この観測の妥当性をNMR分光法(東京大学)とテラヘルツ分光法(筑波大学)で検証しました。その結果、共同研究グループは、通常は長い時間を要するタンパク質の水和変化が、サブテラヘルツ波の照射によって大幅に加速されることを発見しました。本発見は、タンパク質の構造や機能の発現に不可欠な水和現象をサブテラヘルツ波によって制御できることを示唆しています。本研究成果は、タンパク質の水和の新たな知見であり、酵素反応の活性化や飲食料品の保存や熟成の技術、タンパク質異常疾患の研究などに貢献が期待されます。

なお、この内容の詳細は、2023年5月22日(日本時間)に「Nature Communications」に掲載されます。

開発の社会的背景
タンパク質は力学的、化学的な仕事を行う生体物質です。その優れた機能を物質生産などに活用するためには、物理的、化学的な仕組みを理解することが求められます。しかしその障害の一つとなるのが、タンパク質分子と、その周囲にたくさんある水分子との集団的な相互作用(水和)が複雑であり、簡単には説明できないことです。水分子一つは簡単な構造ですが、集団で(水素結合で弱く結ばれた)塊となって動いたり、バラバラで自由に動いたり、さまざまに変化します。その塊の大きさ、動きの仕方や時間スケールは、他の分子との相互作用によって大きく変わります。水の中のタンパク質は水和水に覆われて形や動きやすさを保つことで機能を発揮します。水和水がないとタンパク質分子同士での凝集や繊維化などが起こり、これらが蓄積すると場合によってはさまざまな疾患につながることもあります。

タンパク質は約20種類のアミノ酸がつながってできた高分子です。タンパク質の表面には含有されるアミノ酸の種類によって、水を好む(親水性)箇所、水を嫌う(疎水性)箇所ができます。このため、水和構造が形成されていく時間や、形成された後の水の運動性は、タンパク質の各箇所で大きくばらつきます。このような水和の不均一性は、タンパク質機能の特性や時間スケールを決める要因になると考えられていますが、観測に難しさがあり、多くがわかっていません。抗体などのバイオ医薬や新型コロナで話題になったPCRなどの酵素反応を含め、タンパク質の機能を積極的に利用するさまざまな場面において、水和の不均一性を理解することが課題となっています。

研究の経緯
産総研では、第6世代移動通信システム(6G)向け電波として注目されているサブテラヘルツ(sub-THz)波の生命科学分野への利用を目指してきました。タンパク質水溶液の観測に基づいて、室温における水とタンパク質の集団運動はsub-THz周波数域で連動することが予想されています。水とタンパク質の連動した運動と同じ周期で変化するsub-THz波は、この連動した運動に対して外部から選択的な刺激を与えられる可能性があることに研究グループは着目してきました。

研究グループではこれまでに、sub-THz波を用いて水とタンパク質の運動を刺激し、タンパク質と水の相互作用がどのように変化するかをNMR分光法で調べました(文献1)。Sub-THz波のエネルギーは、タンパク質の水溶液に吸収され、試料温度を上昇させます。このため、まず予想されたのは通常の加熱と同じである水とタンパク質の運動が一律に活発になるという現象です。しかし、観測されたものは、加熱よりもむしろ冷却に似た現象でした。この研究から、sub-THz波照射により、特定箇所の水和水の構造が変化した可能性が示唆されましたが、直接的な作用や詳しい機構はわかっていませんでした。

研究の内容
Sub-THz波の照射による水和現象の変化を直接的に観測するには、照射しながら、かつsub-THz波に影響されない観測方法が必要となります。この解決方法として、マイクロ波帯の誘電率測定技術を用いました。マイクロ波帯の電磁波が照射された水分子は、集団で分子の向きを変える誘電緩和現象が起こるため、これを誘電率の変化として観測できます。水和により、水分子の集団的なネットワーク構造がより強化されると水分子は動きにくくなるため、誘電率が低下します。したがってsub-THz波の照射の有無、温度変化の有無などの条件を変化させることで、sub-THz波が水和構造に及ぼす影響を観測できると考えました。

そこで研究グループでは、高強度のsub-THz波(0.1 THz)パルスを発生できるクライストロン光源を用い、シリコーン素材の平皿の底部からsub-THz波を照射しながら、上部に据えた同軸プローブによって、タンパク質水溶液のマイクロ波帯の誘電率測定を行うシステムを開発しました(図1)。この方法では、ベクトルネットワークアナライザから発生させた弱いマイクロ波帯の電磁波を同軸プローブの先端から試料に浸透させ、反射した電磁波の情報を検出して誘電率を評価しました。一般的な同軸プローブを用いた誘電率測定は試料長が十分長いことが前提となります。本研究では、sub-THz波照射の影響を観測するために、sub-THz波がタンパク質水溶液に侵入する深さ程度まで試料長を短くする必要があります。しかし、この短い試料長のために一般的な測定を妨げる多重反射が起きます。研究グループは、多重反射の信号が、試料の誘電率を反映して変化する現象に着目しました。そして、多重反射を無くすのではなく、あえて利用することで、sub-THz波照射による試料のわずかな誘電率変化を鋭敏に検出できることを見出しました。

そこで乾燥した卵白リゾチーム粉末を用い、水と乾燥リゾチームが出会ってから、安定な水和構造ができるまでの変化を誘電率の変化として詳しく調べました。その結果、数時間から1日程度の時間が必要になるリゾチーム水和構造の安定化が、sub-THz波を照射すると数分で終了することを発見しました。このようなタンパク質水和がゆっくりと進行する変化や、sub-THz波照射が与える影響は、これまで詳しく調べられたことがなく、本方法を用いることで初めて明らかになりました。

開発した方法とTHz分光法を組み合わせた解析から、水と乾燥リゾチームが出会ってすぐの状態では、緩和時間が短くなった(水素結合の数が少なくなった)水の割合が増え、リゾチーム周りの水のネットワークが部分的に崩れていることがわかりました。この緩和時間が短くなった水は、時間とともにゆっくりと緩和時間が長くなった(水素結合の数が多くなった)水に置き換わり、sub-THz波照射はその反応を加速することが示唆されました。

さらに研究グループは、リゾチーム試料へのsub-THz波照射作用をNMR 分光法で調べました。リゾチームに由来するNMRシグナル強度の経時的な変化は、電磁波を照射した場合と試料を熱伝導で加熱した場合で異なりました。照射による短時間の変化は、水とリゾチームを混ぜてからの時間を1日まで長くした変化と類似していることがわかりました(図2)。それだけではなく、リゾチーム構造中の各メチル基のシグナルの強度変化に着目すると、リゾチームの疎水性空洞の周辺に位置するメチル基において顕著な運動変化が生じていることがわかりました。このことから、sub-THz波照射による水和状態の変化は、特に疎水性空洞で起きていることが示唆されました(図2)。

以上に示すように、sub-THz照射下のマイクロ波帯誘電率測定法、THz分光法、NMR分光法を組み合わせた総合的な解析から、リゾチーム水溶液へのsub-THz波照射により、初期のネットワークが崩れた水を含む水和構造から、疎水性の高い領域を含めて、ネットワークが強化された水和構造に変化することが示唆されました。

なお、本研究開発は、日本学術振興会の助成事業 新学術領域(研究領域提案型)「水圏機能材料」 (課題番号:JP22H04566、2022〜2023 年およびJP19H05717、2019〜2023 年度)、と基盤研究(B)(課題番号:JP20H03298、2020〜2022 年度)による支援を受けて行いました。

(文献1)Biophysical Journal 2021, doi.org/10.1016/j.bpj.2021.04.013

今後の予定
生体分子と相互作用する水のミクロな性質を理解し、制御することができれば、次世代の生物機能改変技術になります。例えば、sub-THz波の照射により、酵素を改変せずにより高速に酵素の機能を高める技術や、ゲノム情報を変えずに生物の物質生産能を高める技術、水和の障害によるタンパク質異常疾患に対する医療技術、飲食品の熟成などの技術の開発につながると期待されます。

論文情報

DOI:https://doi.org/10.1038/s41467-023-38462-0

用語解説
サブテラヘルツ(sub-THz)、サブテラヘルツ波

テラヘルツは、周波数の単位で1012Hz(1兆ヘルツ)。1011Hz – 1013Hzの周波数域の電磁波をテラヘルツ波と呼び、この中でも1012Hzより低周波数域をサブテラヘルツ、その帯域の電磁波をサブテラヘルツ波と呼ぶことがある。サブテラヘルツ波は、マイクロ波と赤外線の中間にあり、電波(透過性)と光(直進性)両方の特性を持っている。通信分野における「第6世代移動通信システム(6G)」やミリ波の周波数域と重なる。

水和
広義には、タンパク質などの溶質分子やイオンとの相互作用により、それらを取り囲む水分子集団の運動や水素結合構造が純水中の状態から変化する現象。このような水を水和水と呼ぶ。水和によって水分子が動きにくくなる場合と、動きやすくなる場合があることが知られている。例えば、タンパク質の親水性アミノ酸側鎖は周囲の水を束縛して動きにくくする。疎水性表面では、水分子同士が水素結合によるネットワーク構造を作って束縛し合い、水を動きにくくする。イオンの周囲では、強く束縛された水のすぐ外側に動きやすくなった水が存在するという報告がある。このように相互作用の相手によって、水和水の特性や空間的な広がりは大きく異なる。また、観測方法によっても水和の定義は異なるため、見解が一致しないこともある。

誘電率、誘電緩和、緩和時間
分子の中に電気的な偏り(電気双極子)があると、外部から電場を掛けた時、その電場に合わせようとして分子が時間をかけて向きを変える。この現象を誘電緩和と呼ぶ。電場が波のように振動している場合、分子の動きもそれに沿って揺れる。その揺れ方は分子の質量や電気双極子の大きさで変わり、その違いを示すものが誘電率である。この誘電率は複素比誘電率という複素数で表され、誘電率の実部が「どれだけ外部の電場で分子の向きを揃えるか」を、また誘電率の虚部が「どれだけ熱に変わるか」を示す。誘電率は電場が変化する周波数によって異なり、誘電率の虚部が極大になる時の周波数を緩和周波数、また緩和周波数の逆数を緩和時間と呼ぶ。誘電率は分子の束縛状態によっても変わるため、緩和時間が大きいほどその分子は強く束縛されており、緩和時間が小さいほど分子の束縛は緩いとみなせる。水分子は1分子に対して最大4つの水素結合をとりうるため、本検討中においては、水分子の集団としての平均水素結合数の変化が誘電率の変化に影響しているものと考えている。

水素結合
水において、O-H…Oのように、水素原子を挟んで2つの酸素原子が作用し合う結合である。水だけでなく、O-H…Nなど水とアミノ酸のように様々な分子間でできる。1つの分子内で正と負の電荷が別れている双極子と呼ばれる性質や、小さい水素原子の性質により、特別に強い方向性をもっている。液体において、ある分子間に水素結合が存在すると、その近くの分子にも結合性が促され、水素結合のネットワークが広がる。

NMR分光法
Nuclear Magnetic Resonance(核磁気共鳴)の略。水に溶けたタンパク質などを、強力な磁場の中に置くと生じる「原子核スピンの共鳴現象」を観測して、その高次構造およびダイナミクスを原子レベルで解析する技術。試料を破壊や凍結せずに、そのままで解析でき、製薬、食品、材料、化学などさまざまな分野で活用されている分析技術。

テラヘルツ分光法
1012Hz (=THz, テラヘルツ)の周波数領域での分光法。なかでも今回用いたのは、テラヘルツ時間領域分光法と呼ばれる手法である。0.1 THz – 10 THz程度の周波数を持つ遠赤外領域の光の吸収や位相のズレから、10-12s(=ps、ピコ秒)領域での分子運動を調べることができる。水分子の集団的な運動や分子間振動、水素結合から孤立した水の運動だけでなく、タンパク質などの生体分子のゆらぎや結晶の格子振動なども観測することができる。

クライストロン
入力された高周波の位相により電子ビームを加速させることで、高周波の出力を大幅に増幅して発振する装置。発振周波数、出力等が異なる様々なものが開発されているが、本研究では約0.1 THzの単一周波数の高周波を発振できるものを用いた。一般的には電子加速器やレーダー等に用いられる

同軸プローブ、ベクトルネットワークアナライザ
本報告ではベクトルネットワークアナライザで発振した100 MHz -14 GHzのマイクロ波を同軸ケーブルの先端に接続したステンレス製の同軸線(同軸プローブ)を通じて試料に照射し、その反射情報から誘電率を得ている。温度が同じで照射と非照射の測定値に差があれば、対象分子の集団としての構造や運動性が照射により変化したことを意味する。

リゾチーム
細菌の細胞壁を構成する多糖類を分解する酵素の一種。動物から植物まで多様な組織に広く分布し、水和を含めた物性・構造・機能の解析が最も進んだ球状タンパク質。アミロイド繊維を形成することでも知られている。

本件に関する問い合わせ先
国⽴研究開発法⼈ 産業技術総合研究所
細胞分⼦⼯学部⾨ 分⼦機能応⽤研究グループ
主任研究員 今清⽔ 正彦
〒305-8565 茨城県つくば市東1-1-1 中央第5
03-3599-8232 m.imashimizu@aist.go.jp

出典:
https://www.tsukuba.ac.jp/journal/pdf/p20230522180000.pdf

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