-アイスコア科学の超精密化に進展をもたらす技術革新-
理化学研究所(理研)仁科加速器科学研究センター 雪氷宇宙科学研究室の望月 優子 室長、中井 陽一 専任研究員、矢野 安重 客員主管研究員、光量子工学研究センター 光量子制御技術開発チームの和田 智之 チームリーダーらの共同研究グループは、「アイスコア[1]レーザー融解サンプラー(Laser Melting Sampler:RIKEN-LMS)」と名付けた装置を開発しました。これは、レーザー融解によってアイスコアから水試料の採取を行う世界初の装置で、アイスコア科学の超精密化や深層コア[2]の分析の進展に貢献するものと期待されます。
過去の地球の気温変動を調べるには、南極氷床などのアイスコアの水の安定同位体[3]比が分析されますが、従来の試料採取法では深度分解能[4]に限界がありました。特に、南極大陸内陸域で掘削された深層コアは、深部では押しつぶされており、そこに刻まれた気温の情報を1年以下の時間分解能[4]で取得することはこれまでできませんでしたが、RIKEN-LMSにより初めて可能になります。
共同研究グループは、国立極地研究所(NIPR)と協力して南極ドームふじ基地[5]のアイスコアにRIKEN-LMSを適用し、レーザー光照射により融解した水試料を3mmという高い深度分解能で離散的に採取・分析しました。その結果、水の安定同位体比の分析値が、同じアイスコアについて手で分割した試料の分析値と、分析不定性[6]の範囲内でよく一致することが示されました。手分割した試料の分析値は真値に近いと考えられており、これにより、LMS装置の信頼性および有用性が実証されました。
現在、「最古の氷」の掘削を目指して、過去150万年程度の連続した深層コアを掘削する計画が各国で進行中です。理研発のレーザー融解サンプリング法は、この「最古の氷」の分析にも役立つと期待される、革新的な発明です。
本研究は、科学雑誌『Journal of Glaciology』オンライン版(9月19日付:日本時間9月19日)に掲載されました。
背景
南極大陸やグリーンランドの氷床から掘削されたアイスコア(円柱状の氷試料)には、過去の地球の気候変動や環境変動が記録されているため、重要な研究試料です。
アイスコアからの試料採取方法としては、現在、CFA(Continuous Flow Analysis)法とレーザーアブレーション法の二つが主流です。CFA法は、熱でアイスコアの断面を連続的に解かしていくため、融解時や分析装置までの融解水の輸送時に試料の混合が起きやすく、深度分解能は1cmもしくはそれ以上です。一方、レーザーアブレーション法では、レーザーを照射して、アイスコア表面を高温にして爆発的に蒸散・気化させます。このとき、激しく複雑な二次過程が引き起こされ、水の同位体分別[7](同位体比の変化)が起こることから、気温情報を与える水の安定同位体比(酸素同位体比δ18O[8]、水素同位体比δD[8])の分析には適していません。
南極大陸の、日本のドームふじ基地やヨーロッパのドームC基地周辺に代表される、降雪量の少ない内陸域で掘削された約70~80万年前までにわたる深層コアは、深部でより圧密され、1年分の厚み(年層)は非常に薄くなります。例えば、ドームふじ基地で掘削された深層コアでは、深度2,100m付近が約20万年前に相当し、年層は約5mmと見積もられています。気候変動研究を進展させるためには、さらに過去にわたってより詳細に、試料を解析することが必要であり、1年以下の時間分解能での分析が求められます。
このように、南極大陸内陸域の深層コアはより過去へ到達するには有利ですが、水の安定同位体比を深度分解能1cm未満で分析する方法が、今までなく、本研究で、アイスコアからの水試料採取装置の開発に取り組みました。
研究手法と成果
今回、共同研究グループは、世界で初めてレーザー光でアイスコアを沸点よりも十分に低い温度で「融解して」水試料を採取する装置「アイスコアレーザー融解サンプラー(Laser Melting Sampler:RIKEN-LMS)」の開発に成功しました(図1左)。このLMS装置は、理研和光キャンパスにある-20℃の低温室内に設置されています。LMS装置では、「サンプリングユニット」に組み込まれた直径2mmのノズルから、波長1.55μmの近赤外線レーザー光が約2Wの強度で照射されます(強度は氷の状態に合わせて調整)。ノズルは氷を融解しながら氷中を進み、同時にノズルの先端底位置に開いている半月形の穴から融解水を吸い上げます。図1右はレーザー光照射により融解したダミーアイスコアを、図1左のカメラで撮影した写真です。融解領域が広がらず、ノズルとほぼ同じ直径の円柱状になっていることが分かります。これにより、LMS装置は高い深度分解能を実現しています。
吸引された融解水は、サンプリングユニット内に仕込まれている貯水容器に輸送されます。貯水容器内の融解水が一定容量に達するまで、ノズルの氷の採取位置を同深度内で変えながら採水が繰り返され、規定量に達すると、サンプリングユニットは採水をやめます。その後、同位体分析のために開発された低温に強いステンレス鋼(SUS)製のバイアル(容器)がサンプリングユニットの真下まで移動し、貯水容器内にたまった融解水がバイアルに放出されます。
このLMS装置の開発における重要なポイントは、「レーザー光を氷に照射することによって引き起こされる、氷の昇華や融解水の沸騰・蒸発をいかに防ぐか」という点でした。氷の昇華や融解水の沸騰・蒸発が起こると、同位体分別が引き起こされ、真の同位体比から値がずれてしまうからです。これに対して、装置をほぼ閉鎖系の構造にすることと、レーザー光の強度、ノズルの進入速度、融解水の吸引速度の三つのパラメータを最適化することで対応しました。2Wのレーザー光照射では、融解水の温度は49℃以下と見積もられ、1気圧における水の沸点(100℃)よりもかなり低いことから、融解水は沸騰しないと考えられます。
ただし、氷の昇華や融解水の蒸発は、実験室環境の気圧や温度・湿度などにより、沸点より低い温度でも起きる可能性があります。従って、沸騰現象が起きていないからといって、同位体分別が全く起きていないとはいえません。昇華や蒸発は相対的に「軽い」水[9]で起きやすいため、昇華や蒸発が起きれば、残ったアイスコアの水は逆に相対的に「重く」なります。従って、LMS装置でレーザー光を照射することにより同位体分別が起きれば、δ18OとδDの定義[8]から、測定された同位体比の値は常に元のアイスコアの値より大きい方へ変化することになります。
図2は、RIKEN-LMSを初めて実際のアイスコア(ドームふじDFS10浅層アイスコア)に適用し、水試料を採取した後の写真です。これはアイスコアの深度91.6m付近(密度:約0.76g/cm3)から切り出されたもので、高さ58mm、奥行き24mmの直方体の形をしています。深度分解能は、水平(アイスコアの深度)方向に3mmピッチ(間隔)、鉛直(アイスコアの同じ深度の断面)方向に2.5mmピッチに設定しました。
水平方向の3mmピッチでは、レーザー融解で採取された鉛直方向に並ぶ間隙の隣に、採取後に残った氷がまるでくしの歯のように立ち並び、隣同士の試料が混じらない離散的な試料採取となっていることが分かります。一方、鉛直方向の2.5mmピッチでは、融解穴が連結していて連続的に融解されています。このように、LMS装置では離散的な融解と連続融解の両方が可能であり、目的によって使い分けることができます。LMS装置による初のアイスコアサンプリングの様子を示した動画を以下で示します。
ここで特筆すべきは、LMS装置で採取された試料のd値(図3cの青丸)の振る舞いです。d値は通常、アイスコアの原料として運ばれてきた水蒸気の供給源となっている海水面における水の蒸発が引き起こす同位体分別の影響を示す指標です。LMS装置の場合には、レーザー光照射に伴って発生しているかもしれない氷の昇華や融解水の蒸発が引き起こす同位体分別の指標と考えることができます。LMS採取のd値は、手分割のd値(図3cの青線)に対して、値の大きい側にも小さい側にも振れつつ、安定してほぼ一定となっています。
また、LMS採取によるδ18OとδDの分析結果(図3aの赤丸と図3bの黒丸)にも、手分割の結果(図3aの赤線と図3bの黒線)と比較して同位体分別が引き起こす一定方向(水が「重く」なり、両同位体比が大きくなる方向)への偏ったシフトは見られません。従って、LMS採取では同位体分別がほぼ起きていないことが示されました。
分析不定性について考察すると、δ18OとδDの測定精度として、使用している水の同位体分析装置が保証している精度は、1回の測定に関するものです。そのため、異なる測定日に同じ試料を測ることによって、装置の日々の安定性も考慮した、より適切な分析不定性を得ることができます。
そこで共同研究グループでは、ドームふじ基地のアイスコアの水の同位体分析の標準として使用している、国際原子力機関(IAEA)が供給している標準液の中で最も軽い水の標準液を、異なる日に10回測定し、δ18OおよびδDの分析不定性を導出しました。そしてLMS採取と手分割の両方の結果が同様の分析不定性を持つことを考慮し、δ18O、δD、d値のいずれでもLMS採取と手分割の分析値の差が、上述の分析不定性の範囲内で一致していることを確認しました。手分割の値は真値に近いと考えられることから、「LMS採取で得られた水の安定同位体比は、アイスコアそのものの水の安定同位体比と分析不定性の範囲内で一致している」と結論付けました。さらに統計学的な検定も行い、「LMS採取と手分割の結果は同等と見なせる」ことを示しました。
これらの検証結果から、LMS装置は著しい同位体分別を起こさないこと、仮に採水中に同位体分別が起きていたとしても、分析不定性からくる測定値の揺らぎに比べて低いレベルに収まっていることが示され、LMS装置の信頼性および有用性が実証されました。従って、これまで原理的に不可能と考えられてきた気温の情報を与える水の安定同位体比の3mmという高い深度分解能での分析が、初めて可能となりました。
LMS装置を用いると、深層コアにおいて長期にわたって連続した1年分解能の気温プロファイルの再構築や、過去における突発的な気温変化の研究が可能になります。また、LMS装置のサンプリング分解能は制御可能な設計となっているので、採取幅を変えることで、長尺の深層コアを約1年分解能でサーベイ的に分析して、突発イベントが認められた場合にはその年層周辺のみを詳細に高解像度分析する、といった柔軟な運用も可能です。
また、これまで低温下での手分割の作業では1年分解能で2000年分のデータを取得するのに5年近くかかっていたものが、LMS装置を用いれば、30作業日程度で実施可能になる見込みです。さらに、装置のサンプリングユニットの台数を2台に拡張すれば、試料採取の速さを2倍にできるという発展性もあります。
今後の期待
今回開発されたRIKEN-LMSは従来の発想を超えた発明といえます。アイスコア科学分野の測定技術全体における重要なステップであり、前例のない詳細なレベルでの分析は研究分野を画期的にリードし得ると考えられます。現在、各国で進行中の「最古の氷」を掘削するプロジェクトにも役立つものと考えられ、今後、理研発のレーザー融解サンプリング(LMS)法が世界的に広まっていくことも期待されます。
共同研究グループは、地球の変動だけでなく宇宙の変動の影響も統合した視点からドームふじ基地のアイスコアに刻まれたさまざまなシグナルを読み解くことを目的とした、「AG(Astro-Glaciology)データファクトリー計画」という研究プロジェクトの一環として、今後、RIKEN-LMS装置をさらにアップグレードして過去72万年にわたるドームふじ深層コアに適用し、気候変動と自然変動、特に気候変動と太陽活動との関係の解明などを目指していきます。
補足説明
1.アイスコア
南極やグリーンランドの氷床から鉛直に掘削された円柱状の氷試料で、過去の地球の気候変動や環境変動が記録されている。降雪量によるが、アイスコアは深いほど、時間的に過去にさかのぼることができる。
2.深層コア
日本南極地域観測隊は、「第2期ドームふじ観測計画」により、2007年に深度3,035mの深層アイスコアの掘削に成功した。琉球大学や国立極地研究所などの解析から、この深層コアは過去72万年にわたることが明らかになっている。現在は、100万年を越える最古級のアイスコア取得を目指している第3期深層コア掘削計画が進行中である。ヨーロッパのドームC基地では、日本の第2期深層コア掘削に先立ち、過去約80万年に達する現時点で最古の深層コアが掘削されている。
3.同位体
同じ元素であって、質量数(陽子数+中性子数)が異なる原子のこと。例えば、酸素(原子番号8)の場合、質量数が16、17、18の三つの同位体が天然に安定に存在している。その存在比は、16Oが99.757%、17Oが0.038%、18Oが0.205%である。
4.深度分解能、時間分解能
どれくらい細かな深度スケールまで分解して調べることができるかを深度分解能といい、どれくらい細かな時間スケールまで分解して調べることができるかを時間分解能という。アイスコアは深度と年代が対応しているので、深度分解能と時間分解能は互いに関係している。
5.ドームふじ基地
日本南極地域観測隊により深層コア掘削の拠点として開設された、南極大陸の内陸に位置する観測基地。南緯77度19分、東経39度42分、標高は、富士山より高い3,810mで、名称の由来となっている。年平均気温は-54.4℃、観測された最低気温は-79.7℃である。
6.分析不定性
同じ試料を繰り返し分析した場合の分析値のばらつきの程度を表す量。分析値の標準偏差をばらつきの程度を表す量として用いることが多い。これを見積もるために通常の試料の分析とは独立した実験を行うこともある。
7.同位体分別
化学的あるいは物理的なプロセスで生じる同位体比の変化のこと。
8.酸素同位体比δ18O、水素同位体比δD、δ18OとδDの定義
歴史上の経緯から、酸素同位体比δ18Oおよび水素同位体比δDは以下のように定義される。ここで、‰(パーミル)は千分率を表す。「標準試料」とは、国際原子力機関(IAEA)が研究機関などに供給している「ウィーン標準平均海水(Vienna Standard Mean Ocean Water)」と呼ばれる、水の同位体標準である。南極大陸の雪中のδ18Oは、その採取場所の表面気温と比例関係にあることが観測的に示されており、アイスコア分野では、δ18OとδDは気温の代替指標とし確立されている。
9.軽い水
水の同位体分子種として、H216O、HD16O、H218Oを考える。軽い水分子(H216O)と重い水分子(H218O)では、飽和蒸気圧が異なる。この物理的な特性の違いにより、H216OはH218Oよりも蒸発しやすく、凝結しにくい。
10.過剰重水素(d値)
二次的な同位体指標であり、d=δD-8×δ18Oにより定義される。アイスコアの原料として運ばれてきた水蒸気が、その供給源となっている海水面から蒸発するときに引き起こされる同位体分別(同位体比の変化)の影響を示す。水蒸気蒸発時の海面水温、湿度、風速などに依存する。
共同研究グループ
理化学研究所
仁科加速器科学研究センター 雪氷宇宙科学研究室
室長 望月 優子(モチヅキ・ユウコ)
専任研究員 中井 陽一(ナカイ・ヨウイチ)
特別嘱託研究員 高橋和也(タカハシ・カズヤ)
客員技師 廣瀬 純也(ヒロセ・ジュンヤ)
テクニカルスタッフⅠ(研究当時)ユービン・サフー(Yu Vin Sahoo)
客員主管研究員 矢野 安重(ヤノ・ヤスシゲ)
光量子工学研究センター 光量子制御技術開発チーム
チームリーダー 和田 智之(ワダ・サトシ)
研究員(研究当時) 湯本 正樹(ユモト・マサキ)
(現 産業技術総合研究所)
研究員 丸山 真幸(マルヤマ・マサユキ)
先任研究員 加瀬 究(カセ・キワム)
テクニカルスタッフⅠ 坂下 亨男(サカシタ・ミチオ)
国立極地研究所
教授(研究当時)本山 秀明(モトヤマ・ヒデアキ)
研究支援
本研究開発は、日本学術振興会(JSPS)科学研究費補助事業基盤研究(A)「南極氷床に刻みこまれた銀河系内超新星爆発と太陽活動の歴史の解明(17H01119、研究代表者:望月優子)」の助成を受けて行われました。同研究課題は、コロナ禍のため、当初の終了予定(3年間)から2年延長しています。
原論文情報
・Yuko Motizuki, Yoichi Nakai, Kazuya Takahashi, Junya Hirose, Yu Vin Sahoo, Masaki Yumoto, Masayuki Maruyama, Michio Sakashita, Kiwamu Kase, Satoshi Wada, Hideaki Motoyama, and Yasushige Yano, “A novel laser melting sampler for discrete, sub-centimeter depth-resolved analyses of stable water isotopes in ice cores”, Journal of Glaciology, 10.1017/jog.2023.52
発表者
理化学研究所
仁科加速器科学研究センター 雪氷宇宙科学研究室
室長 望月 優子(モチヅキ・ユウコ)
専任研究員 中井 陽一(ナカイ・ヨウイチ)
客員主管研究員 矢野 安重(ヤノ・ヤスシゲ)
光量子工学研究センター 光量子制御技術開発チーム
チームリーダー 和田 智之(ワダ・サトシ)
報道担当
理化学研究所 広報室 報道担当
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出典:
https://www.riken.jp/press/2023/20230919_2/index.html
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