(レーザー関連)京都大学/熱が誘起するすべり流れを検出

―光ピンセットを援用した可視化手法により熱泳動のメカニズム解明へ―

 京都大学大学院情報学研究科 辻 徹郎 准教授、梅 世哲 修士課程学生(研究当時)、田口 智清 教授らの研究グループは、温度勾配を持つ流体中に置かれたマイクロ粒子の表面近傍に、光ピンセットで流れを検出するトレーサーを留めるという独自手法で、熱浸透すべり流の発生を検出しました。
熱浸透すべり流は、微小粒子の温度勾配方向への泳動現象である熱泳動の主要なメカニズムのひとつと考えられています。熱泳動は、分子やコロイドなどの微小粒子の分離、濃縮、分析技術への応用が期待されており、そのメカニズムの理解は重要な基礎研究課題です。しかし、熱浸透すべり流が検出困難な遅い流れであること、また、微小粒子表面近傍という狭い空間で生じる流れであることが障壁となっているためか、その実験的評価はこれまで行われていませんでした。
辻准教授らの研究グループでは、強い熱浸透すべり流を誘起するために、集光レーザーによる光熱効果を用いて流体中に強い温度勾配を形成しました。さらに、流れを検出するトレーサーを光ピンセットによりマイクロ粒子表面近傍の領域に留めることで、温度勾配に起因する流れの検出に成功しました。これは、熱から流れを作り出す技術や、熱を利用して物質を分離する技術の基盤となる研究成果です。本成果は、2023 年 11 月 30日(現地時間)にアメリカ物理学会の国際学術雑誌「Physical Review Applied」にオンライン掲載されました。また、研究成果の概要がアメリカ物理学会のオンライン雑誌「Physics」の SYNOPSIS に取り上げられました。

1.背景
流体中の温度勾配の方向に沿って物質が泳動する現象は熱泳動と呼ばれ、イオン、生体分子、コロイドなどの微小粒子の分離、濃縮、分析技術への応用が期待されており、世界的に活発な研究が行われています。しかし、熱泳動の特性を予測するための方法論は、理論および実験の観点からともに未確立です。微小粒子に対する熱泳動メカニズムのひとつとして、図 1(a)に示すように、熱泳動する粒子の表面に誘起される熱浸透すべり流(※1)の存在を仮定するモデルが有力であると考えられています。しかし、この熱浸透すべり流は微小粒子表面近傍の狭い領域のみで顕著でかつ非常に遅い流れであり、その実験的評価の困難さから、モデルの直接的な検証が行われていないのが現状です。本研究はこの問題を解決するために、流れを可視化するトレーサー(※2)の光捕捉(いわゆる光ピンセット)(※3)を用いた新しい流れの可視化手法を提案しました。

2.研究手法・成果
[研究手法]

熱泳動するマイクロ粒子(直径 7 µm)の表面近傍に生じる熱浸透すべり流を調べるうえで、ふたつの鍵があります。ひとつ目は、流れの駆動源となる温度勾配の形成です。熱浸透すべり流は温度勾配に比例すると考えられており、その比例係数はすべり係数(※4)と呼ばれます。熱浸透すべり流はすべり係数が非常に小さい(=流れが非常に遅い)ので、実験的に検出するためには強い温度勾配が必要です。本研究では、集光レーザーが水に吸収され局所的に発熱する光熱効果(※5)を用いてこの温度勾配を形成しました。得られた温度勾配の大きさは 1 K/µm を超え、これは 1 mm の距離に対して 1000 ℃の差に相当する勾配の大きさになります(図 1(a))。ふたつ目は、発生する熱浸透すべり流の評価方法です。熱浸透すべり流はマイクロ粒子の表面近傍で発生すると考えられますが、粒子表面から離れると減衰してしまいます。つまり、熱浸透すべり流を観測するためには、粒子表面近傍の狭い領域を正確に計測する必要があります。一般的な粒子画像流速測定法(Particle Image Velocimetry; PIV)(※6)では、流れに追従するトレーサーの動きを解析し、トレーサーの位置あるいはトレーサーが含まれる検査体積における流れを計測します。しかし、いま興味があるマイクロ粒子表面近傍はマイクロスケールのとても狭い領域なので、そこにたまたまたどり着くトレーサーを待つのは非常に効率が悪い作戦です。本研究では、集光レーザーによる光圧を用いて微小物質の運動を制御することができる光ピンセットによりトレーサー運動をマイクロ粒子表面近傍に制限することで、表面近傍の高温側への流れの発生を検出しました(図 1(b))。また、粒子表面からの距離や、粒子表面のゼータ電位(※7)に対する流れの強さの依存性を調べました。

[成果]
図2に示すように、実験的に検出した流れが粒子表面から遠ざかるにつれて弱くなること、また、流れの強さがマイクロ粒子のゼータ電位に依存することを観測し、温度勾配下に置かれた粒子表面が流れの発生源であること、つまり熱浸透すべり流の存在を明らかにしました。この実験的観察に加え、簡易化された熱流体モデルを用いて、「熱泳動速度を特徴づける熱泳動移動度(※8)の実験値をもとに算出したすべり係数」と「表面近傍の流れの評価をもとに算出したすべり係数」という2種類の方法を用いて求めたすべり係数が同程度であること、つまり、熱泳動のメカニズムのひとつとして提案されている、粒子表面に誘起される熱浸透すべり流の存在を仮定するモデルの妥当性を裏付けました。これにより、熱泳動のメカニズムの理解に関する基礎的な知見が得られただけでなく、分離、濃縮、分析など、熱を利用する微小物質輸送の工学的応用において、設計上の重要な因子(例えば表面電位)を実験的に評価する方法の方針が得られたことになります。

3.波及効果、今後の予定
[波及効果]

これまでの熱泳動の研究は、熱泳動する微小粒子の運動にのみ注目することが主で、泳動現象の起源となる流れの直接的な評価は行われていませんでした。しかし、これは流れの評価が軽視されていたということではなく、実験の技術的な制約が理由であると思われます。この状況から一歩前進するために、本研究では光ピンセットを用いた新しい実験手法を考案し適用しました。これを機に今後は、流れの解析を交え議論しながら熱泳動の理解を深めていく研究の方向性が生まれることを期待しています。本研究は熱から流れを作り出す技術や、熱を利用して物質を分離する技術の基盤となる研究成果です。また別の観点からの波及効果として、光ピンセットを用いて流れを調べる本提案手法は、熱浸透すべり流以外の表面近傍マイクロ流れ(例えば電気浸透流やアクティブマター周囲の流れ)の研究への適用も考えられます。本研究成果を、微小系の流体力学における基礎的な実験技術として発展させていけると面白いと考えています。

[今後の予定]
今回の研究では、異なるゼータ電位を持つ 2 種類の粒子表面の状態に関する熱浸透すべり流を調べました。しかし、熱浸透すべり流は他にも溶液の pH や表面の水和性などに依存すると考えられており、系統的に実験を行うことが現象のより深い理解には不可欠です。また、熱浸透すべり流の速度ベクトル場を得ることは流体力学の学術的観点から重要であると考えられ、今後取り組みたい課題のひとつになります。

4.研究プロジェクトについて
本研究は、日本学術振興会(JSPS)科学研究費助成事業・基盤研究 S「機械学習によるナノ粒子流の制御と一分子識別技術への応用(研究代表者:川野 聡恭)」(JP18H05242)、基盤研究 B「局在力場における単一ナノ粒子運動の実験と数理(研究代表者:辻 徹郎)」(JP20H02067)、挑戦的研究(萌芽)「運動論的方程式に対する特性線法の開発と複雑境界値問題への応用(研究代表者:辻 徹郎)」(JP22K18770)、基盤研究 C「不連続境界条件に対応したすべり流理論の開発と自己駆動する粒子への適用と応用(研究代表者:田口 智清)」(JP22K03924)、科学技術振興機構(JST)戦略的創造研究推進事業さきがけ「複雑な流動・輸送現象の解明・予測・制御に向けた新しい流体科学(研究総括:後藤 晋)」における研究課題「Optothermal fluidics の分子流体科学への展開(研究代表者:辻 徹郎)」(JPMJPR22O7)による助成を受けて行われました。

<用語解説>
※1 熱浸透すべり流

流体中の温度勾配に応じて生じる流れを熱浸透流と呼びます。この流れは重力下の熱対流とは本質的に異なる流れで、微小スケールで顕著に現れる現象です。特に固体境界近傍で起こる熱浸透流は、巨視的なスケールで見れば流体が境界面上をすべっているように捉えることができるため、温度勾配を持つ境界表面近傍に誘起される流れを熱浸透すべり流と呼んでいます。

※2 トレーサー
流速を可視化するために、流体中にトレーサーと呼ばれる微小粒子を分散させます。一般にトレーサーは流体の運動に追従しますが、本研究ではトレーサーの熱泳動が生じるため、その影響を含めた解析を行っています。

※3 光捕捉・光ピンセット
集光されたレーザーの焦点に微小物質が捕捉される現象で、2018 年にノーベル
物理学賞を受賞した Arthur Ashkin 博士によって提案されました。これまでに生物物理学、光化学、応用物理学など様々な分野に応用されています。本研究では、流体現象の理解の一助として使いました。

※4 すべり係数
流速ベクトルを u,流体の温度を T としたとき、熱浸透すべり流は現象論的に u =−K∇Tと書くことができ、この式に現れる比例係数 K をすべり係数と呼びます。なお、∇の記号は場の勾配を表し、ここでは特に境界表面に沿った勾配を意味します。

※5 光熱効果
物質が光を吸収して発熱する現象を光熱効果と呼びます。吸収の程度は物質と光の波長によって決まるため、波長を適切に選ぶことで特定の物質のみを加熱することができます。本研究では水の加熱に光熱効果を用いていますが、特に、加熱用のレーザーを集光することで発熱領域をマイクロスケールに微小化し、温度勾配を高める工夫をしています。

※6 粒子画像流速測定法・PIV
トレーサー(※2)の連続撮影画像を画像解析することでトレーサーが含まれ
る検査領域における流速ベクトルを算出する方法を、粒子画像流速測定法(PIV)と呼びます。

※7 ゼータ電位
液体中の固体表面は帯電しています。その結果、溶液中に分散する対イオンが表面に集まりStern 層を作ります。Stern 層の外側にはイオンの非一様な空間分布が形成され、これが拡散層となります。Stern 層と拡散層を合わせて、電気二重層と呼びます。固体表面が接線方向に動くと、表面からのある程度離れた面内に含まれる電気二重層内のイオンは引きずられて動きます。この面をすべり面と呼び、すべり面における電位をゼータ電位と定義します。ゼータ電位は、表面の電気的特性を特徴づける代表的な物理量です。

※8 熱泳動移動度
熱泳動する粒子の移動速度 vT は、流体の温度を T としたとき、経験的に vT=−DT∇T と書くことができ、この式に現れる比例係数 DT を熱泳動移動度と呼びます。

<研究者のコメント>
本研究の動機である熱浸透すべり流の実験的観察の着想は、京都大学で2013年に博士号取得後に大阪大学に助教として着任した頃、それまでと違う新しい研究テーマを探していたときにさかのぼります。当時は実験的なアイデアに乏しく実現には至りませんでしたが、この10年で獲得した様々な知見をもとに再チャレンジした結果が本論文で結実しました。10年の間、このテーマに関する他研究グループからの進展報告の有無を期待半分・不安半分でウォッチしていましたが、今回、無事に自分たちのアイデアを形にできて少しほっとしています(まだまだ課題があるので「少し」です)。(辻 徹郎)

<論文タイトルと著者>
タイトル:
Thermo-osmotic slip flows around a thermophoretic microparticle characterized by optical trapping of tracers(トレーサーの光ピンセットを用いた熱泳動マイクロ粒子まわりの熱浸透すべり流の評価)

著者:
Tetsuro Tsuji(京都大学), Satoshi Mei(京都大学), Satoshi Taguchi(京都大学)

掲載誌:
Physical Review Applied DOI:10.1103/PhysRevApplied.20.054061
アメリカ物理学会のオンライン雑誌「Physics」の記事 https://physics.aps.org/articles/v16/s168

<研究に関するお問い合わせ先>
辻 徹郎(つじ てつろう)
京都大学 大学院情報学研究科 情報学専攻・准教授
TEL:075-753-5902 090-1313-5530
E-mail:tsuji.tetsuro.7x[at]kyoto-u.ac.jp

<報道に関するお問い合わせ先>
京都大学 渉外部広報課国際広報室
TEL:075-753-5729 FAX:075-753-2094
E-mail:comms[at]mail2.adm.kyoto-u.ac.jp
科学技術振興機構 広報課
TEL:03-5214-8404 FAX:03-5214-8432
E-mail:jstkoho[at]jst.go.jp

<JST 事業に関するお問い合わせ先>
安藤 裕輔(あんどう ゆうすけ)
科学技術振興機構 戦略研究推進部 グリーンイノベーショングループ
TEL:03-3512-3526 FAX:03-3222-2066
E-mail:presto[at]jst.go.jp

出典:
https://www.jst.go.jp/pr/announce/20231201/pdf/20231201.pdf

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