〜結晶端の特異な電子状態を理論的に予見〜
原子は原子核と電子で構成されています。そして、電子がとることのできるエネルギーは、飛び飛びの値を持ちます。これをエネルギー準位と呼びます。そして、結晶中の電子の振る舞いは、非常に多数のエネルギー準位が束になった帯(バンド)状のエネルギー構造に基づいて理解されてきました。近年、相異なるバンドが交差・反転して捻じれているトポロジカル物質という結晶群が発見され、その物理的起源を探る基礎研究や電気抵抗が極めて小さい新機能デバイスなどへの応用研究が、世界レベルで精力的に行われています。
本研究では、トポロジカル物質を構成する新規な素材そのものを探索するのではなく、結晶にレーザーを照射して電子の状態を変調することでバンド構造の交差・反転を誘起し、その結果生じる新奇な物理現象を追究しました。レーザーの照射で誘起された動的な状態や励起状態におけるトポロジカル物質の研究は、未開拓ゆえに様々な潜在的な可能性を秘めています。
具体的には、量子井戸という2次元半導体(一種の絶縁体)に強いレーザーを照射して光と電子が一体化した量子状態を創成し、ある特定のレーザー強度のとき異なるバンド同士が円錐交差し得ることを理論的に示しました。これはレーザーによって絶縁体が半金属に相転移したことに対応します。この際、微小なバンドギャップで隔てられた近似的な円錐交差も付随して発現することが分かりました。さらに、このような半金属相の結晶端に現れる1次元バンド間のギャップ内に、平坦な線分状の特異なエネルギー準位が現れることを見出しました。
この研究は、未開拓である非平衡状態・励起状態におけるトポロジカル物質の物性解明に向けた探究に資することができると期待されます
研究の背景
結晶は非常に多くの原子や分子で構成されています。これを反映して非常にたくさんのエネルギー準位が狭い間隔で束になった帯状のエネルギー構造を持っています。これをエネルギーバンド(エネルギー帯または単にバンド)といいます。さらに、バンド同士はあるエネルギーの間隙(バンドギャップ) で隔てられて並んでいます(参考図1a)。
バンドのエネルギー値は結晶内の電子の運動量(速さに相当する物理量)によって決まります。運動量の変化に対してエネルギーバンドが部分的に反転した捻じれ構造を有する物質群はトポロジカル絶縁体と呼ばれます。この物質にはトポロジカル秩序という特異性が内在し、通常の絶縁体とは明 確に区別されます。さらに、これに伴い結晶表面の境界(エッジ)上には円錐交差(参考図1b)する バンド構造(ディラック交差)が現れます。ディラック交差する電子状態はエッジに局在し、不純物や他の電子との散乱などによる擾乱に対して頑強な特異な状態であるため、通常の固体中の電子では不可能な物性の発現が可能になります。最近、ディラック交差が結晶内部に生じるディラック半金属(参考図1b)といわれる新規なトポロジカル物質が発見され、基礎物理の解明ならびに新機能の探索に向 けた広範な研究が活発に行われています。
これまでのトポロジカル物質研究の対象は主として基底状態であり、励起状態および非平衡状 態におけるトポロジカル物性は依然未開拓な研究領域です。これらの状態を生成するための最も有効な手段は「光」であり、レーザー照射によって電子状態を制御することによって新奇なトポロジカル状態を創成する研究が行われています。
本研究では、理論物理ならびに計算物理の観点から、光制御によるディラック半金属状態の創成の可能性を追求しました。具体的には、通常の物質である半導体量子井戸に強いレーザーを照射して、光と電子が強く結合して一体化するフロケ状態といわれる量子状態を誘起し、レーザー電場の強度を制御することによってディラック半金属(フロケディラック半金属)相を創成し得る条件を調べました。さらに、これに伴って量子井戸のエッジに特異な電子状態が発現するか否かを調べました。
研究内容と成果
本研究では、強束縛近似という結晶の電子状態を表す模型を基に、数値計算を行いました。その結果、半導体量子井戸に直線偏光した連続波レーザーを照射し、ac シュタルク効果という量子力学的効果を利用することで、エネルギーバンド構造に円錐交差を有するフロケディラック半金属相が形成されることを見出しました(参考図 2)。計算結果は、数学的に導出した円錐交差を形成するための条件と整合しました。この際、バンド構造に(1meV 程度の)微小なバンドギャップを有して反転する近似的な円錐交差が付随して発現することも分かりました(参考図 2)。この近似的な円錐交差は、レーザー照射によって当該系の空間反転対称性(パリティ対称性)が破れることに起因して現れ、、レーザー強度がある一定の領域内で安定に存在することが分かりました。さらに、結晶内にこのような円錐交差もしくは近似的な円錐交差が現れる場合のエッジの電子状態のエネルギーバンドを計算すると、明確な境界条件依存性(すなわち、レーザー電場の方向に対するエッジの方向依存性)があることが判明しました。具体的には、両者の方向が平行である場合、円錐交差点および近似的な円錐交差点を接続する線分状の特異なエネルギー準位がバンドギャップ内に現れました(参考図 3a)。一方、垂直な場合、エネルギー準位は生じませんでした(参考図 3b)。
このような円錐交差ならびに近似的な円錐交差、さらにエッジのエネルギー準位が現れるか否かの詳細を理解するために、レーザーによって物質内に誘起される電気分極を導入し電子運動量に対する分布を計算しました。電気分極の分布は、空間反転対称性の破れによる電子状態のパリティ混合の程度に対応します。レーザー強度に対する電気分極の正負の分布の変化が、フロケ状態におけるトポロジカル秩序の変化に一致することを示すことができました。さらに、電気分極がゼロになる軌跡を調べると、これのエッジ方向への射影がまさにエッジの特異なエネルギー準位の発現領域に一致し、上記の境界条件依存性の起因を説明することができました。
以上のように、本研究では、レーザーによる電子状態の量子制御によるフロケディラック半金属相創成の可能性を理論的に示し、これに関連するエッジの特異なの電子状態の存在を予見しました。さらに、レーザー誘起よる電気分極を導入して、当該系のトポロジカルな物性を統一的に理解することに成功しました。
今後の展開
今回の研究結果は、光制御によって2次元系である半導体量子井戸内にトポロジカルな半金属相を創成することができる可能性を示したものですが、同様な枠組みを3次元系半導体に拡張することもできます。当該系に比べて電子の運動の自由度が増えるため、光制御によって、ディラック半金属のみならず、ワイル半金属や線ノード半金属など多様性に富んだトポロジカル半金属を創成できると考え られます。さらに、結晶のエッジにも新規な電子状態が発現する可能性があります。一方、フロケディラック半金属相創成のためには高強度レーザー照射が必要になります。実験による検証を行ううえでも、高密度で励起された電子間の多体相互作用を考慮した量子ダイナミクス理論模型の構築と、より定量的なレベルでの評価が要求されます。理論と実験の緊密な連携によって、フロケ状態を介したトポロジカル物性に関してさらに豊穣な物理的知見が開拓されることが期待されます。
参考図
出典:https://www.tsukuba.ac.jp/journal/pdf/p202102151400.pdf
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