英国首都ロンドンの地下には巨大な空間があって、そこには無人の電車が走っている。
古い小説の冒頭か、幽霊に住民票を発行する英国らしいオカルトめいた真偽不明の都市伝説のように聞こえるかもしれない。が、これは真実だ。と言っても、別に秘密でも神秘でも政治的な隠しことでもなく、1927年から2003年まで実際に使われていた「ロンドン郵便局鉄道(Mail Rail)」のことだ。
全長10.5km、ロンドン西部パディントンから東部ホワイトチャペルまでを結び、交通渋滞やロンドン名物の霧によって度々起こる郵便物の遅延を解消するために作られた当時としては最大規模の地下鉄となる。地下21m、基幹トンネル直径2.7m、軌間61cm、駅付近で直径2.1mの単線トンネルに分岐するこの地下鉄は、現在イギリス国内を走っている軌間1,435mmの鉄道と比べると随分と小型だったことが分かる。因みに日本の新幹線の軌間も1,435mmだ。列車は電気で稼働し、完全無人で運用されていた。郵便需要の減少や沿線の郵便局閉鎖の影響と経費の増加に伴って2003年に閉鎖されるまで、ロンドン市民の郵便を運び続けた伝統の列車だ。
廃駅後は長らく忘れられ、完全に失われてしまった状態だったこの地下鉄道だが、実は2017年にリニューアルされ、一部が公開されているのだ。
図1
マウント・プレザント郵便鉄道駅に併設された「ロンドン郵便博物館」では、全長10.5kmの路線のうち1km程が公開されているだけでなく、アトラクションとして実際に列車に乗ってその1kmを走ることができるのだ。郵便を運んでいた当時の列車でないことは些か残念だが、きちんと観光用の小さな列車で無人ではなく有人での運行だ。15分間の乗車時間の間にトンネル内にある駅に停車して、映し出される郵便の歴史を堪能できる。また、順次アナウンスが流れ解説を聞けるのも嬉しい。
ロンドンの郵便の担い手から新しい観光地へと変化を遂げた郵便鉄道だが、関係者の間ではやはり苦悩と苦労があった。すでに廃線となった路線、閉鎖となった駅を博物館にするということは、これまで歴史を紡いできた郵便鉄道を改築せざるを得ない。安全性や維持コストを考えればそれは不可避だ。博物館として残したい、しかしその為にはその対象を造り変えなくてはならないという厄介な自体に陥ったのだ。壊さなければならないことは決まっている。ならば、存在したままのロンドン郵便局鉄道の姿をそっくりそのまま記録しておこう。関係者たちの下した決断は、全てを3Dスキャンしてしまうことだった。
郵便博物館はロンドンの3Dスキャニング会社「ScanLAB」にスキャン作業を依頼。「ScanLAB」は3DLidarスキャンを駆使して大聖堂や博物館や文化財、或いは景観や自然風景の3Dモデルを作成し、そのデータの多くは博物館やドキュメンタリー作品に使われている。言わば、芸術分野に特化した3Dスキャンを行う企業だ。彼らは駅のエントランス部分、地下のプラットフォーム、作業エリア、地下の鉄道路線のうち約1.6kmのスキャンを行い、133点ものデータを博物館側に提供した。その結果、非常に精密な郵便鉄道の3Dモデルが完成することになったのだ。その詳細さは、置き忘れたままの作業用スパナやロッカーの中の作業着、床に散らばるナットやボルト、剥がれかけのペンキまでもがリアルに感じ取れるほどだ。
図2(youtubeより)
図3(youtubeより)
おかげで博物館の来場者は、かつてロンドン市民の郵便事情を支えた地下鉄の魅力を存分に楽しむことができている。スクリーンに映し出される映像で郵便鉄道を往時の姿そのままに覗き見ることができるのだ。「ScanLAB」の技術者たちはこれで満足しているわけではない。Lidarスキャンによる膨大な量のデータを全て活用するには至っていないからだそうだ。なので、そう遠くない先に、より臨場感のあるロンドン郵便鉄道を体感できる日が来るかもしれない。
この「ロンドン郵便博物館」はなかなか盛況なようでオープンした2017年の前期だけで79,000人が訪れる観光名所となっている。見所はこの郵便鉄道だけではなく、歴史的な郵便馬車や世界初の切手、大列車強盗の記録等々、ヘンリー8世の時代にまで遡る珠玉のようなイギリス郵便500年の歴史が堪能でき,その収蔵品は6万点にも及ぶ。
イギリス旅行をお考えの方は観光リストの上位に加えておくべき場所なのではないだろうか。
*Rail Mail – A Digital Archive
最後に、ロンドン郵便鉄道は郵便を運ぶ以外のことにも活躍したことがあるという事実をお知らせしておこう。戦争中、貴重な美術品が戦火によって失われることを避けるため、ナショナル・ポートレート・ギャラリーやテートギャラリーの美術品がこの地下に収蔵されたことがある、かの有名なロゼッタストーンも一時ここに隠されていたそうだ。そしてもう一つ、大切な郵便物を齧歯類の被害から守るため、週給1シリングで優秀な猫を雇用していたのだとか。イギリスでは省庁や官邸がお抱え猫を雇っていることがあるが、その歴史は郵便局でも変わらないようだ。
参考
*Redshift
https://www.autodesk.co.jp/redshift/london-postal-museum/!--NoAds-->
* Exciteニュース
https://www.excite.co.jp/news/article/E1528618825038/
* wikipedia
https://www.excite.co.jp/news/article/E1528618825038/
https://www.japanjournals.com/images/stories/trend_london/2017/170907/photo1new.jpg (Top画像)
https://imagel.navi.com/london/common/goods_album/201710/Goods_Album_833547_360_thumb110_1507632996.gif (図1)
https://imagef.navi.com/london/miru/contents_list_thumb/201710/Good_360_sum640_1507633013.jpg (図4)
執筆者:株式会社光響 緒方